大正国道全図(大正9年時点)
この前の日本国道全図に引き続き、現行国道網になる前のいわゆる大正国道についても地図を作ってみました。
 目次
〜一般路線〜
 1 東京市より神宮・府県庁所在地に達する26路線
 2 東京市より師団軍司令部所在地に達する4路線
 3 東京市より鎮守府所在地に達する5路線
 4 東京市より枢要な海港に達する3路線

〜軍事路線〜
 
5 主として軍事の目的を有するx路線
〜追加路線〜
 
6 以下未定
大正国道は、大正9年の道路法(旧道路法)に基づいて指定された国道です。正式な名称というわけではないですが、指定された年号から「大正国道」と呼ばれています。

大正国道は大きく分けて2つの種別に分けられます。
一つ目は「東京市ヨリ神宮、府県庁所在地、師団軍司令部所在地、鎮守府所在地又ハ枢要ナ開港ニ達スル路線」
法律で「東京市ヨリ〜」とあるので、全て東京が起点です。中央集権丸出しですね(笑)詳しくは後で解説しますが、いまの国道体系からするとかなり強引かつ保守的(?)な路線配置で、おびただしい距離の重複区間が存在しています。
当初路線数は38でしたが、現行国道が指定される直前の昭和27年までには路線の延長や追加により41路線となっていました。
以後は、この路線を「一般路線」と呼びます。

二つ目は、「主トシテ軍事ノ目的ヲ有スル路線」、いわゆる軍事路線です。
こちらは東京を起点とせず、各地をそれぞれ結ぶ機能的な路線となっています。路線一覧をぱっと見ただけでは、路線指定の意義がよくわからないのですが、当時は軍の施設や戦略上重要な地点を結ぶために指定されたのだろうと思います。小笠原・三浦は国防上の重要地、富士は今も自衛隊の演習場があるところ、宇品は軍の兵站基地のあったところですので…。
なお、大正国道については、現行国道と区別するため「國道○号」と旧字体表記しています。「号」も旧字体表記にしようと思ったんですが、あまりにいかつすぎるので辞めました(笑)

 

1 一般路線のうち、東京市より神宮・府県庁所在地に達する26路線
ここでは、まず一つ目の「東京ヨリ〜」の路線のうち、まず当時の府県庁を結んでいた26路線を見ていきます。
1−1 北海道・東北・関東
 國道四号 (東京市−北海道庁)
 國道五号 (東京市−青森県庁)
 國道六号 (東京市−宮城県庁)
 國道七号 (東京市−千葉県庁)
 國道八号 (東京市−山梨県庁)
 國道九号 (東京市−群馬県庁)
 國道十号 (東京市−秋田県庁)
全て東京市起点なので、東京以外の「●」は全て何らかの終点となっている府県庁所在地です。
まず
國道四号は現行国道4号と同じルートなのですが、青森から津軽海峡を経て札幌まで行っている(=現行国道5号のルートも含んでいる)のが大きな違いです。細かいけれど、北海道庁って府県じゃないので、「府県庁所在地」には含まれないと思うんですが…。まぁ内地だからいいんでしょうか。
國道五号は羽州街道が指定されています。江戸時代は奥州街道(国道4号)とともに重要視されていたルートなので、国道として指定されるのも頷けるところです。現行国道13号がこれに相当しますが、秋田以北の現行国道7号も包括しています。
國道六号は、現行の国道と路線番号・起終点全て一致する珍しい国道です。大正国道の例を見ると、これだけなんです。
國道八号は甲府止まりの盲腸路線でした。後に京都府までの路線として延伸されます。國道九号も前橋止まりだったのですが、こちらも後に新潟市まで延伸されます。
國道十号は高崎から分岐して、新潟市・秋田市と結ぶ長いルートなのですが、国鉄信越本線ルート(現行国道18号→現行国道8号→新潟市)をとらず、なぜか信濃川沿いの飯山線ルート(現行国道117号→現行国道17号→現行国道8号)を走っています。

1−2 中部・東海・関西
 國道一号 (東京市−神宮)
 國道二号 (東京市−鹿児島県庁(甲))
 國道十一号 (東京市−石川県庁(甲))
 國道十二号 (東京市−石川県庁(乙))
 國道十三号 (東京市−岐阜県庁)
 國道十四号 (東京市−京都府庁)
 國道十五号 (東京市−奈良県庁)
 国道十六号 (東京市−和歌山県庁)
大正国道の栄えある一号は、東京市から伊勢神宮までの路線です。一番最初に神宮の路線を持ってくるところに、当時の世相が現れています。ほぼ現行国道1号と一致していまして、三重県日永村(当時)で現行国道1号と分かれていました。
國道二号は東京市から何と一気に鹿児島県庁まで向かいます。現行国道1〜3号を全て併せた国道です。
國道十一号國道十二号は、どちらも石川県庁まで向かいますが、前者は長野市→直江津ルート、後者は名古屋市→福井市ルートをとっています。大正国道の特徴として、終点は同じ都市であるのに、二種類のルートが設定されているというケースが多くありました。
國道十三号は岐阜県庁までの路線ですが、ほぼ全て國道十二号と重複していたようです。
國道十四号は複雑で、軽井沢で國道十号から分岐しまして、諏訪・塩尻・土岐・米原と経て京都市に至る国道です。何でこんな風にしたのか疑問だったんですが、よく考えてみればこれは中山道ルートと同じですね。

1−3 中国・四国・九州
 國道二号 (東京市−鹿児島県庁(甲))
 國道三号 (東京市−鹿児島県庁(乙))
 國道十七号 (東京市−山口県庁(甲))
 國道十八号 (東京市−山口県庁(乙))
 國道十九号 (東京市−島根県庁)
 國道二十号 (東京市−鳥取県庁)
 國道二十一号 (東京市−徳島県庁(甲))
 國道二十二号 (東京市−徳島県庁(乙))
 國道二十三号 (東京市−高知県庁)
 國道二十四号 (東京市−愛媛県庁)
 國道二十五号 (東京市−長崎県庁)
 國道二十六号 (東京市−沖縄県庁)
中国地方は、なぜか西側から十七・十八・十九・二十と番号が採番されています。
山口市については、
國道十七号國道十八号の二路線が設定されています。やはり長州の影響力でしょうか…。まぁ考えるに、國道十八号を京都市からのばしてきた場合、終点にできる都市は府県庁所在地だけでしたから、現行国道9号のように下関市を終点にはできません。北九州市もだめ、かといって福岡市まで延ばすのもどうかな…というところなので、山口市に二路線の終点を置いたんじゃないかと思います。なぜ松江でもなく鳥取でもなく山口だったのかと考えると、後は長州か…というところですが。
國道十九号は松江市まで行きますが、現在国道では国道53号・国道181号に分割されています。あまり重要性がなかったのか…。

四国地方では、淡路島経由の
國道二十一号のほかは、三路線が指定されていますが、全て岡山市から高松市まで重複し、そこから徳島・高知・松山へと分岐します。
九州地方では、西側ルートの
國道二号と太平洋側の國道三号の2路線が設定されています。現行国道3号と10号がこれに相当します。後は長崎までを結ぶ國道二十五号が設定されていました。
忘れてはならないのが沖縄県庁を結ぶ
國道二十六号。長大な海上区間を持つ現行国道58号に相当する路線は、明治国道の國道四十四号で指定されていましたが、大正国道でもちゃんと指定されておりました。

 

2 一般路線のうち、東京市と師団司令部所在地を結ぶ4路線
府県庁編は終わりまして、師団司令部所在地へ向かう4路線を挙げます。ここからは、kokudou.comの井上様の言葉を借りれば"きわめて軍事色の強い大正時代の「国道」"という性格が如実に現れている路線です。
師団司令部は1888年(明治21年)の六師団の創設以来、改編を経て、
道路法制定の大正9年当時第二十師団までが存在していました。うち、特に国道として指定されたのは4路線、三師団のみです。他の師団所在地については、既往の国道が近隣地まで達しているため、特別に指定する必要が無かったのかもしれません。
2−1 第七師団司令部 (北海道旭川区)
 國道二十七号

 (東京市−第七師団司令部(甲))
 國道二十八号

 (東京市−第七師団司令部(乙))
北海道には、旭川に第七師団司令部がありまして、そこに向かう二路線が指定されていました。
國道二十七号は、現行国道12号に相当する路線です。國道四号と重複した後、札幌から先が単独区間となって旭川に至ります。
一方の國道二十八号は同じく國道四号と重複するのですが、青森港で分岐し、函館港に向かわずに室蘭港で北海道に上陸します。そこから現行国道36号・234号を走って岩見沢で国道二十七号に合流し、旭川で終点となっていました。

2−2 第十四師団司令部 (栃木県河内郡国本村)
 國道二十九号

 (東京市−第十四師団司令部)
※短い国道だったので、位置だけを■で示しています。

栃木県国本村(現在の宇都宮市)にあった
第十四師団司令部に至る国道です。
國道四号から分岐して現行国道119号を経て、現在の栃木病院付近で終点となっていたようです。

2−3 第十五師団司令部 (愛知県渥美郡高師村)
 國道三十号

 (東京市−第十五師団司令部)
※同じく位置だけを■で示しています。

豊橋市で國道一号から分岐し、愛知県高師村にあった第十五師団司令部までを結んでいた国道。現行国道259号の一部に相当するようです。
高師村は1932年に豊橋市と合併するのですが、それに先立つ1925年に軍縮の影響で第十五師団が一度廃止されています。その後、日中戦争が始まると1938年に再編成され、終戦を迎えました。

 

3 一般路線のうち、東京市と鎮守府所在地を結ぶ5路線
続きまして、鎮守府所在地を結ぶ路線です。先ほどの「師団司令部」が陸軍の施設であるのに対して、「鎮守府」は海軍の施設であり、1884年横須賀に設置されたのを皮切りに、1889年に呉と佐世保、1904年舞鶴と設置されていました。
3−1 横須賀鎮守府 (神奈川県横須賀市)
 國道三十一号

 (東京市−横須賀鎮守府)
まずは横須賀鎮守府です。一番最初に設置された鎮守府であるわけですが、正確には1876年横浜に「東海鎮守府」が設置され、その後1884年に横須賀に移転されて「横須賀鎮守府」となったのだとか。
路線としては、現行国道16号(うち横浜市−横須賀市)のルートに相当します。

3−2 呉鎮守府 (広島県呉市)
 國道三十二号

 (東京市−呉鎮守府)
瀬戸内に位置した呉鎮守府です。現行国道31号に相当します。
戦後はもっとも短い一級国道として残ったわけですが、やはり旧軍港という点で重視されての指定だったのでしょうか…。

3−3 佐世保鎮守府 (長崎県佐世保市)
 國道三十三号

 (東京市−佐世保鎮守府)
天然の良港であった寒村に海軍関係者が目を付け、一大港湾都市に発展したという佐世保市。
こちらも現行国道35号として残っています。

3−4 舞鶴鎮守府 (京都府加佐郡中舞鶴町)
 國道三十四号

 (東京市−佐世保鎮守府)

 國道三十五号

 (東京市−佐世保鎮守府)
最後の鎮守府は舞鶴です。
長く東舞鶴と西舞鶴に分けられてきたこともあって(→多分関係ない)、国道も國道三十四号と國道三十五号の二路線が指定されていました。
国道三十四号は京都府福知山で國道十八号から分岐して舞鶴に至ります。一方の國道三十五号は福井県敦賀市で國道十二号から分岐し、若狭湾を経て舞鶴に至りました。ルートは若干違いますが、現行国道27号の原型とも言えます。

 

4 一般路線のうち、東京市と枢要な開港を結ぶ3路線
当初指定されたのは横浜港、大阪港、神戸港の三港のみでした。後に下関港と若松港(北九州市)が追加されます。
短い路線ばかりで、地図に書き入れるとまたゴチャゴチャするので、解説のみでいきます。
 國道三十六号 (東京市−横浜港)
東京と横浜港を結んでいた国道。
[東京市]→
國道一号重複(現行国道15号)→[横浜市]→國道三十一号重複(現行国道16号)→[桜木町、たぶん]→國道三十六号(現行国道133号)→横浜港という路線じゃないか…と推測されます。なお、本路線については1934年に第二京浜国道の建設に伴い、東京−横浜間のルートが現在の第二京浜ルート(現行国道1号ルート)に変更されました。
 國道三十七号 (東京市−大阪港)
東京と大阪港を結んでいた国道。
[東京市]→
國道一号・國道二号重複(現行国道1号)→[大阪市]→國道十六号重複(現行国道26号)→國道三十七号(現行国道172号)→大阪港と思われます。
 國道三十八号 (東京市−神戸港)
東京と神戸港を結んでいた国道。平安時代から栄えた港だけあって、最初の路線指定の時から国道で結ばれていました。
[東京市]→
國道一号・國道二号重複(現行国道1号・2号)→[神戸市]→國道三十八号→神戸港となります。
※作成にあたっては、kokudo.com様の資料を参考にしました
ひとまずまとめ 
ここまでの大正国道(大正9年時点)をまとめた全図です。
→ 大正国道全図(一般路線のみ)
枢要な開港に関する3路線、軍事路線及び以降の追加路線は含まれていません。

 


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