案内標識の歴史(戦後のみ)

0.はじめに 
普通、案内標識と言えば、青地に白文字の標識、いわゆる青看板を思い浮かべると思います。
しかし、中には白地に青文字、赤矢印の古めかしい標識(下)、いわゆる白看板を見たことのある人も居ると思います。
実は、1970年頃まではこの白看板が案内標識の本来の形でした。
現在でもこのような白看板は各地に残っています。
ここでは案内標識がどのように変わっていったのか、紹介したいと思います。

[0−1 概略]
現行の「標識」は地上に立って設置されるものをいい、「案内」「警戒」「規制」「指示」の四種類があり、この中に「案内標識」という部類が存在します。高速道路の標識を除くと、案内標識は大別して以下の三つの時代に分けることができます。
1.白地青文字時代
   (昭和25年3月〜昭和46年11月改正まで)

2.青地白文字・ローマ字なし時代
   (昭和46月11月〜昭和61年10月改正まで)

3.青地白文字・ローマ字あり時代
   (昭和61年10月〜現在)
あくまでも大別なので例外がもちろん存在するわけですが、おおまかな流れで言うと上の通りです。
ここでは大きくこの三つの時期に分けた上で、時系列で案内標識の歴史を追っていきたいと思います。

[0−2 政令]
道路標識の様式は、基本的に政令で定められています。
   ・昭和25年までは「道路標識令」
   ・昭和35年12月からは「道路標識・区間線及び道路標示に関する命令」
です。
道路標識の様式は、この政令を改正することにより、変更されます。

1.白地青文字時代
[1−0 前史]
近代日本の道路標識は、大正11年11月の「道路警戒標及道路方向標ノ件」(大正11年内務省令第27号)にさかのぼります。この時は、現在の警戒標識にあたる標識と、案内標識に相当するものが定められました。
その後、具体的なデザインが定められたのは、昭和17年5月の「道路標識令」(昭和17年内務省令第24号)です。このとき誕生した近代日本初(?)の正式な案内標識は、下のような標識1件だけでした。現在の「道路の通称名」に、道路の種類(府県道/国道)・行き先(横浜/東京)・現在地(大森)、距離(20km/12km)をごちゃごちゃと盛り込んだもの。
※作者KAWASAKIオリジナルです
  寸法は正確でないのですが、雰囲気は伝わるかと思います。
実際に設置された風景はどんな感じだったんだろうか…と思うのですが、現存しているものを見つけるのはほぼ不可能でしょうね。写真などでも作者は見たことはないです。

[1−1 昭和25年3月改正]
では本題に入りまして、昭和46年11月まで続く白地青文字時代を見ていきます。
(黒文字だと思っていましたが、調べてみたら青文字でした)

戦時中に定められた「道路標識令」は昭和25年に大改正されることとなりました。案内標識には5系統の新たな標識が導入され、これまで唯一1つしかなかった案内標識は充実への道を歩み始めます。
この時の導入された標識は下記のとおりです。
※その他
101市町村
102都府県
105著名地点など
方面・方向及び距離
(103系統)
方面及び距離
(104)
「方面・方向及び距離」(103系統)はAからCまであります。
地名が三つ記載されているものがA、地名が二つならB、一つだけならCとなります。上記の標識は、103-Cに相当します。
「方面及び距離」(104)は、色の違いこそあれ、デザインとしては現行のものに近い形です。
当時の日本は連合軍の占領下にある時代。
当然主力を占めた米軍兵がたくさん居たわけでして、それらへの配慮からローマ字(大文字)が併記されています。
ちなみにですが、この時は案内標識のみならず、現在の警戒・規制・指示標識にあたるものの大部分にも英文併記の措置がとられています。

[1−2 昭和35年5月改正]

↑標識を準備する警官
(昭和35年の道路交通法改正によるもの)
「道路標識令」が改正されます。
交通戦争と呼ばれる中、道路交通法で罰金刑を強化するなどし、道路標識も改正が行われましたが、案内標識については106「国道番号」が追加されたのみでした。
この国道番号は、日本の標識の中では、デザイン変更が行われなかった現存最古の標識(笑)と言えます。
国道番号
(106)
初期の頃の標識は暗い青地に白文字の標識でした。
「国道」+「番号」+「ROUTE」というシンプルさが、この標識に長寿命をもたらしたのでしょうか。
案内標識一般に併記される英文表記は、大文字併記→ローマ字併記原則禁止→先頭大文字その他小文字と変遷していくでわけですが、このおにぎり標識は大文字併記の時代に導入されたため、「ROUTE」と大文字表記となっています。

[1−3 昭和35年12月「道路標識区画線及び道路標示に関する命令」制定]
これまでは地上に立っている「道路標識」のみを道路標識令に規定していましたが、この政令の制定により、地上の道路標示のみならず、路面にペイントされる区間線や道路標示も一つの政令にまとめて制定されることとなりました。
標識は現行の体型である案内標識・警戒標識・規制標識・指示標識に分けられるなどかなり大きな変更がなされました。
しかし、その中の案内標識に関しては今回も変更がなされず、旧来の「道路標識令」を踏襲しています。
準拠する政令の名前が変わっただけで、内容は全く変わっていない、と言えばよいでしょうか。

[1−4 昭和37年1月 第1回改正]
これまで「白地に青文字」という原則だった案内標識も、この頃から変わり始めます。
このときに追加されたのが「方面及び方向」、そして「街路の名称」です。
方面及び方向
(103の2)
街路の名称
(107系統)
103の2「方面及び方向」は矢印が鉛筆型になっているのみで、現行に近い形となりました。旧来の103の標識では交差点で進むべき方向はわかりますが、立体交差などで道路構造が複雑になっている場合は自分の進むべき方向を把握しづらいという欠点がありました。
107系統「街路の名称」は東京五輪を前にして、東京を訪れる外国人に対する案内を目的にして設置されたと言われています*1。関東大震災のときに東京の東部は大規模な区画整備が行われて碁盤の目状の道路に変わりましたが、山手地域の道はうねうねとして迷路とさえ言われていました。道路の通称として「外堀通り」「明治通り」という言われ方はあったものの、それを外来者に示す標識はこれまでなく…。それが今回の標識設置によって、この通りが何という名前なのかようやく外来者にもわかるようになりました。
東京を訪問する人にとっては良い目印になったと思われます。
昭和61年に様式変更されるまで続きました。
この二つの標識はこれまでの標識とは性格が異なります。
まず第一に青地・白文字、もしくは白地青文字であること。これまで白地・青文字であった案内標識が、現行の物にかなり近づいています。ただ、青地と言っても、当時は幾分か暗い色で、紺色がかった青でした。
第二に、大文字・小文字が混在するローマ字表記になったこと。基本的に大文字ばかりの標識ばかりでしたが、今回追加された標識は、現行のものと同様、大文字・小文字が混在するようになっています。

↑「外堀通り」の標識設置
(昭和37年・銀座数寄屋橋交差点にて)
*1 講談社『日録20世紀1962年』6月29日記事「迷路東京に新標識」

[1−5 昭和38年 第3回改正]
一般道路の標識は小さな変更のみとなります。
名神高速道路の供用に向け、昭和38年第3回改正では、高速道路の標識が新たに追加されました。それに伴い従来の103系統及び104の標識について、コード番号がそれぞれ105系統、106系統、108系統に整理されます。同時に、「まわり道」(120)と「駐車場」(117-A)も追加されました。
まわり道
(120)
駐車場
(117-A)
107「まわり道」( 現在は120-Aに変更)は指示標識に区分されていたものを、今回改正で案内標識に移動することにより追加されました。
実はこの標識、昭和25年の道路標識令改正の際に、指示標識506「まわり道」として登場している標識です。指示標識にあったときは外枠が緑色だったのですが、今回の案内標識への所属変更により、外枠が青色に変更となりました。これは「指示標識=緑色」というイメージカラーが存在したことによるものです。そう考えると、「案内標識=青色」となるわけですね。
「DETOR」の大文字による英文併記があるのも、指示標識506で登場した時代に米軍への配慮があったことの名残と思われます。
ところで、現在でもこの標識は政令に残っているのですが、少なくとも新潟県内と横浜市近辺ではまず見かけませんでした。本当にあるのかな…と思っていたら、一応それらしきものを秋田市内で見つけましたけど…。そもそも「まわり道」って臨時で設置されるものですから、恒久的に設置されるものってまずないでしょうし…。

また、青地にPの117-A「駐車場」は、元は指示標識にあった標識ですが、案内標識にも加えられました。
現在では青地にPの標識は、指示標識・案内標識どちらにもリストアップされています。
ただ、指示標識と案内標識の場合では意味が若干異なり、指示標識の場合は「道路への駐車可能」の意味ですが、案内標識の場合は「駐車場あります」の意味に変わります。この違いは補助標識や周囲の状況から判断せねばなりません。

[1−6 昭和39年 第4回改正]
・避難所あり
(116の2)
昭和39年8月第4回改正では、「避難所あり」(116の2)が加わりました。
この「避難所あり」も紆余曲折あった標識で、当初コードは「116の2」でしたが、昭和40年の第5回改正で「116の3」に変わり、昭和42年第6回改正では「待避所あり」から「待避所」に名称変更がなされ(いつの間にか「避難所あり」でもなくなっていた!?)、別途類似の「非常駐車帯」が加わり、更に昭和61年第13回改正で標識の下側に「待避所」と書かれた縦長のデザインに変わった…という経緯を持っています。
現在は、縦長のデザインに変わっている以上、この正方形のものは旧標識というカテゴリーに区分されることになるわけですが、山の中に分け入ると結構色んなところで見ることができます。まだまだ現役。

[1−7 昭和42年 第6回改正〜]
・非常駐車帯
(116の4)
主要地点
まずは前項でも触れているとおり、昭和42年11月第6回改正で加わった「非常駐車帯」(116の4)です。
後にデザイン変更された昭和61年の「待避所」に似ています。
緑色背景なので、高速道路向けの標識です。
最後に、昭和44年11月第7回改正をもって、「主要地点」が追加されました。
主要地点というよりも交差点名と言った方が話が通じるかもしれません。
標識追加当時は、都電が順次廃止されていった時期でありまして、停留所がなくなることによって自分の車が走っている場所がわからなくなったという話が聞かれたそうです。そういった声への対応として、「主要地点」の標識を整備した…そんな話をどこかで聞いたような覚えがあります。
これをもって、戦後からの標識体系は一つの区切りをつけることとなります。

2.青地白文字・ローマ字なし時代
[昭和46年 第9回改正]
案内標識は、昭和46年に大きな転機を迎えます。
昭和46年(1971年)と言えば、戦後の昭和文化が一つの結論を出したような年…と作者個人としてはとらえています。どーでもいいですけど(笑)

大きく変わったのは、これまでの白地青文字から、現行の青地白文字に変更されたこと。
何で変更したのかはわかりませんが、諸外国を見ると緑地白文字や青地白文字の例が多いので、それに倣ったんじゃないかと思います。主要国を見ると、若干緑地白文字の方が多いようにも思いますが、まぁ緑地は先に高速道路で使ってしまっていたワケなので…。。
なお、同じ案内標識でも「市町村」や「都府県」、「主要地点」などは白地のままでした。どうせならこれらも青地白文字にしてしまえ〜と思うのですが、点を表すものは白地、ベクトルを表すものは青地という感じで棲み分けを図ろうとしたのでしょうか。

そして、ローマ字併記が原則禁止となったこと。国際化の流れに逆行する大胆な方針転換(?)です。
ただ、ローマ字併記というものは、終戦後に米軍対策のため標識に英文・ローマ字を併記させたということがそもそもの発端でした。*2その後占領が終わり、昭和35年に案内標識以外の標識は英文併記を廃止し、あとは案内標識だけローマ字併記になっているという状態になっています。言ってみれば「ローマ字併記なんて、敗戦の残滓にすぎない!」という考えだったのでしょうか。まぁ、案内標識とその他の標識は別物と考えるべきとは思いますが、このような流れを考慮に入れると、案内標識もローマ字併記を廃止しようことになったのは自然な流れなのではないかと思います。
例外として、高速道路の標識についてはローマ字併記は原則禁止とならず、「街路の名称」のローマ字表記もそのままでした。高速道路の標識だけは国際志向だったのかもしれません(笑)
*2 正確に言うと、1937年2月6日に敵性表記廃止のためローマ字併記禁止、1946年9月3日GHQ指令によりローマ字併記復活。

都道府県道番号
(119の2)
方面及び方向の予告(一応)
(108-A)
細かく見ていきます。
まず、108「方面及び方向の予告」で一般道路の案内標識にも「予告」の標識が導入されました。実はこれまで「予告」の公式標識はなかったんですね。
次に、108の3「方面・方向及び経由路線」で案内標識に路線番号(略式おにぎりとか)を載せられるようになりました。今でこそ普通に案内標識の中におにぎりやヘキサを埋め込んでいますが、昔はそうでなかったんですね。事実、白地青文字時代のもので、おにぎりやヘキサの埋め込まれた標識は皆無です。
他に、119の2「都道府県道番号」標識も追加されました。ヘキサの登場です(^o^)。
ただ、ローマ字併記原則禁止時代に導入されたがゆえでしょうか、おにぎりには「ROUTE」の文字はあってもヘキサにはアルファベットが一文字も出てきてません。昭和61年以降も同様です。

この時代の標識は比較的多く残っており、特に大都市ではちょくちょく目にします。
現存する物は、水色地の標識が多いように思いますが、まぁ色あせただけかもしれません…

3.青地白文字・ローマ字あり時代
[昭和61年 第13回改正]
三度目の転記は、ローマ字併記の復活です。やはり国際化を考えると、ローマ字は必要だったんですね〜。
フォントも従来の物よりもシャープな感じになり、標識の雰囲気が大分変わりました。これが現行の標識につながっています。

経由路線番号などの標示もかなり自由になりました。と言うのも、これまでは従来の108の3「方面・方向及び経由路線」でしか略式おにぎり・ヘキサを標示できなかったんですね。政令に厳密に従った場合は、他の予告標識や距離標識では標示できないということになってました。まぁ、実際は「略式およぎり入れた方が見やすい」と言う話になって現場では融通きかせていたんじゃないかと思いますが。
新たに「道路の通称名」を略式おにぎり同様、案内標識に入れ込むことができるようにもなっています。
・待避所
(116の3)
道路の通称名
(119系統)
登坂車線
(117の2-A)
これまでの「街路の通称」は「道路の通称名」に名称が変更となり、デザインも六角形っぽいのに変わりました。
ただ、作者としてはこの標識長いこと見ることが無かったんですね。改正があっても、長いこと旧来の「街路の通称」の標識が使われていたように思います。

117の2系統「登坂車線」も追加されました。

[平成7年10月改訂〜]
平成7年10月に、「国道番号」「都道府県道番号」が追加されました。いわゆる「そとば」の標識です。
この標識、路線関係がわかりやすくなり、作者としては好きな標識です。
平成10年には「総重量等緩和道路」が追加されました。

参考:
講談社『日録20世紀』
国土交通省HP

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